アラビア語のすすめ(1)

自分の名刺としてのアラビア語

アラビア語を教えています」という自己紹介は気に入っている。

一発で相手は「なんか珍しいやつだ」とほんのり興味をもってくれるし、難しそうな学問分野とかでないので、そんなにいかつい感じもしないようだ。聞いたことがないタームではないので、相手も「すごいですね、あの文字が読めるんですか」とか、こちらも「いや10年以上やってもやはり難しくて…」とか、絶妙に当座の会話が続けやすい。コミュニケーションが苦手な自分には、かけがえのない名刺だ。

アラビア語専攻の学生や卒業者も似た経験をもっているのではないかと思う。

この名刺を使い始めた当初は、自分の本当の専門分野(記述言語学接触言語学、アフリカ言語学、アフリカ地域研究など)を隠すことに抵抗があった。正直いわゆるアラビア語やアラブ世界にはそんなに関心がなかった。しかし最近では素直に「アラビア語の専門家」にもなることにしたので、自分に嘘をついている感覚もなくなった。

アラビア語を自分の一部に受け入れられるようになった、ということかもしれない。

母語と「アイデンティティ

ところで、言語はアイデンティティ、特にエスニック・アイデンティティやナショナル・アイデンティティの象徴としてよく語られる。「自分の言語」と「自分のアイデンティティ」の結びつきについては意識されやすい。

しかし、人間には普遍的に複数の言語を使う素地があり、「自分の言語」とはいいにくい言語を使う機会も――ごく断片的な発話を含めれば――少ないとは言えない。その言語は自分のアイデンティティとは関係ないのだろうか。

これまで多くの非アラブのムスリムに会ってきた。アラビア語イスラームにとって「聖典の言語」だが、彼らはそんなにアラビア語はできない。しかしアラビア語を「一番美しい言語のひとつだ」と感じているし、アラビア語コーラン朗詠は心のよりどころでもある。アラビア語ができればちょっと尊敬してもらえる。

それから、昔よく南スーダンアラビア語の調査をしていた。大抵の南スーダン人は「アラブ人」でもムスリムでもない。南スーダンの首都ジュバでは、色々な民族出身の人、同じ民族でも色んな移住背景をもつ人たちが関わりあって生きていて、低開発だがコスモポリスだ。そんな彼らが一日中話している言語、ポピュラー音楽の歌詞の言語、ラジオから流れてくるのは、南スーダン式のアラビア語だ。

南スーダン人が素性を知らない南スーダン人に――南スーダン国内だろうが国外だろうが――会った時、まず話すのはアラビア語だ。「公用語」である英語で話すのは、ひけらかしになりかねない。彼らは「南スーダン人なら誰でもとりあえず話せる言語はアラビア語」だと感じているのだ。

彼らと、アラビア語専攻に居る(あるいはアラビア語専攻を出た)私達のような人間には共通点がある。「他者」の言語であるアラビア語を、自分のために使っているのだ。なんなら、それによって自らを何か別の人々から区別しているのだから、何らかのアイデンティティを担っているともいえる。悪くいえば「盗用」のようなものだが、この言語に新たな価値を見出すための、創造的な「盗用」だといえるかもしれない。

アラビア語とエクソフォニー

多和田葉子の紹介による「エクソフォニー」という言葉がある。「母語の外に出た状態一般」(多和田 2012: 3)を表すこの言葉は、外国語に憑りつかれた変わり者、あるいは望むと望まざるとに関わらず「母語」だけでは生きることを選択できない世界中の人々にとって、一つのオルタナティブな価値観になりそうだ。エクソフォニーは旅であり、多くのものと出会うきっかけになる。

ただ私はあまり、英語や近代西欧諸語とアラビア語を同列に扱おうという気にはなれない。これまで自分なりに何十かの言語を学んでみたが、近代西欧諸語を学んで新たに出会ったものよりも、それら以外の言語を学んで新たに出会ったものの方が、圧倒的に大きいと感じるからだ。そして、個人的な結果に過ぎかもしれないが、アラビア語こそが自分に最も多くの、実のある出会い、予定調和的でない出会いをもたらしてくれた言語だった。

そういうわけで、やや大上段だが、自分の経験に基づいた、自分なりの価値観を示すため、このブログにはArabophony というタイトルを付けてみた。

なぜアラビア語が出会いの言語なのかは、次回書きたい。

参考文献

多和田葉子 (2012)『エクソフォニー――母語の外へ出る旅』岩波書店