「日本人は外国語が苦手」考

「日本人は外国語が苦手」というテーマは、色んなアプローチができる面白いネタだ。

「いや、そんなことはない」とその真偽を覆すこともできれば、まあ妥当だと考えたうえで、「なぜ苦手なんだろう」と考えこむこともできる。「「日本人」って誰だよ」とか、「「外国語」にはシンハラ語とかも入ってるんでしょうか」とか口を挟むのも好きだ。社会学者、言語学者、教育学者、外国語教師、政治家、メディア、学生、親御さん… 色んな立場から好きなことを言っていいし、どういう結論も一度耳を傾けてみるくらいの価値があるもの。

私はこの「苦手」には2つの側面――さすがに真剣になんとかしないと困る、克服されるべき実態としての側面と、謙遜や外国語への深い敬意を含む自己評価としての側面――があると思う。もちろんこれらは表裏一体なのだが、それぞれの側面への心構えはアンビバレントにならざるを得ないと考えている。

まず前者について、例えば 2015 年ごろ、私が京都にある某大学図書室に行ったとき、ロッカーに "lord is in the locker" というシールが貼ってあるのを見つけた。何のことか分からなかったが、図書館員の人に入庫希望を伝えると、「荷物はロッカーの中にお願いします」と言われた。「荷物 (もちろん lord ではなく load) はロッカーの中に」か! と閃いたので、(「主はロッカーの中にいまします」みたいになってる、と)誤りを伝えたところ、即時にその標示は剝がされてしまった。傑作なので少し勿体ないことをしたと思わないでもないが、さすがにマズいものだった。

これは、明らかに日本語と英語の構造の差などに起因する「難しさ」や、そういう根本的な言語事実に留意して指導をしていない公教育の質や構造、作ったシールをチェックしてもらえないという外国語校閲への経費不足(?)などの運営環境、等々の問題であって、だから「日本人は外国語が苦手」だというのも頷ける。もっとできることはあるし、それらをしないことを肯定することはできないので、現状を変えたいとも思う。

一方、後者については、そもそも外国語というのは「苦手」なのは当然であって、その意識を変革する必要はないのではないかと思う。逆に「自分は外国語が得意だ」といったとき、そこには外国語への見くびりがあるのではないか。私自身、英語は20年以上勉強し続けていて、英語でも発表・出版してきたし、英語を一言も使わない(少なくとも読まない)日はないが、心から英語が苦手だと思う。アラビア語も教えてはいるし、一生懸命勉強はしてきたが、自己評価としてはアラビア語のアも分かってないという気持ちが強い。

次に「日本人は」の部分について。「日本はモノリンガルな、日本語しか存在しない社会だから」という説明がよく聞かれるし、私も便利に使うことがあるが、実際には「日本人は外国語好き」という側面は過小評価されているかもしれない。

私の実感では、日本社会では「外国語」が、かなりの程度「趣味」としても根付いている。テレビをつければファッショナブルな半年~通年規模の「語学番組」が放送されていて、大型書店にいけば「外国語」の棚が必ずあって、Aはアムハラ語からZはゾンカ語まで揃っていたりする。「海外旅行に行きたいから」といって語学講座に参加する人もそれなりの数いるようだ。他国でこういう現象がどれだけ見られるだろうか。日本人は、相対的には、異常なぐらい(座学での)外国語学習が好きな人々かもしれない。

カナダの大都市から来たというイラク系の留学生と話した時、「カナダは多文化主義を標榜しているが、私の街にはアラビア語が学べる大学なんて存在しない。日本は<単一民族国家>的なのだと思っていたが、首都でなくても巨大な外国語学部があって、インドネシア語スワヒリ語さえ専攻できるとは!」と印象を語ってくれた。

もちろん欧米には、昨今では厳しい状況があるとは言え、重厚な言語研究の伝統と環境がある。日本の現状に満足しているわけではない。しかし、基準次第では日本の「外国語好き」は意外に世界でも群を抜いている側面もあるのかもしれない。そういう「日本人」が「外国語は苦手だ」と言えるだけの環境には感謝しているし、評価されるべきだと思う。