現代北東アラム語入門①:代名詞とコピュラ文

そういうわけで、今回は第一回 NENA 学習ノートです。例文は全て Yadgar (2018, 前回の投稿参照) に拠っていますが、多少オリジナルな解説も加えているので、まあ … 著作権的な問題はないと考えましょう。かなりじっくり目の語学書レビューとしてお読みください。

コピュラ

現代北東アラム語は基本的にSVO型の語順をもっていますが、コピュラ(「…です」やbe 動詞にあたる)だけは文末に現れます。こういう特徴はトルコ東部あたりには多い(例えばトルコ東部で話されるアラビア語方言もそう)のだそうです。 

  • <ܐܵܢܵܐ ... ܝܼܘܸܢ (ܝ̄ܘܸܢ)> ānā ... yīwin (win) 私は…です。
  • <ܐܲܢ̄ܬ ... ܝܼܘܸܬ (ܝ̄ܘܸܬ)> att ... yīwit (wit) あなたは…です。
  • <ܗܿܘ ... ܝܼܠܹܗ (ܝ̄ܠܹܗ)> hāw [ā́w] ... yīleh (leh) 彼は…です。 

なお、ここで i と書いている音は曖昧母音 [ə] のように聞こえます。hāw「彼」は綴り上 h をもちますが (ܗܿܘ)、これは語源的なものらしく、実際には発音されていないようです。

例えば <ܡܲܠܦܵܢܵܐ> malpānā「教師」を入れると以下のようになります。

  • <ܐܵܢܵܐ ܡܲܠܦܵܢܵܐ ܝܘܸܢ> ānā malpānā ywin [ā́nā malpā́nē-win]「私は教師です。」
  • <ܐܲܢ̄ܬ ܡܲܠܦܵܢܵܐ ܝܘܸܬ> att malpānā ywit [átt malpā́nē-wit]「あなたは教師です。」
  • <ܗܿܘ ܡܲܠܦܵܢܵܐ ܝܠܹܗ> hāw malpānā yleh [ā́w malpā́nē-le]「彼は教師です。」

なお、名詞の多くは語尾に -ā (古くは定冠詞だった) をもちますが、この語尾は繋辞の と融合して ē のように発音されます。綴り上は母音記号 ī (ܼ ) を取ってしまうようですね。

アクセントは後ろから二番目の音節(後ろから二番目の母音といってもよい)にありますが、コピュラと融合したときには、コピュラを除いて後ろから二番目ですね。

語尾 の後以外でも、コピュラの の部分は省略されるようです。

  •  <ܐܵܢܵܐ ܝܘܿܚܲܢܵܢ ܝ̄ܘܸܢ> ānā Yōxánān win.「私はヨハナン(ヨハネ)です。」
  • <ܗܿܘ ܐܲܦܪܹܝܡ ܝ̄ܠܹܗ> hāw Aprēm leh「彼はアプレーム(エフレム)です。」

疑問文・否定文

疑問詞疑問文の練習してみましょう。mānī「誰」、mūdī「何」、āhā「これ」がでてきています。語順には二通りがあるようですね。

  •  <ܐܲܢ̄ܬ ܡܵܢܝܼ ܝ̄ܘܸܬ؟> att mānī wit? / <ܡܵܢܝܼ ܝ̄ܘܸܬ ܐܲܢ̄ܬ؟> mānī wit att?「あなたは誰ですか。」
  • <ܗܿܘ ܡܵܢܝܼ ܝ̄ܠܹܗ؟> hāw mānī leh? / ̇ <ܡܵܢܝܼ ܝ̄ܠܹܗ ܗܿܘ؟> mānī leh hāw?「彼は誰ですか。」
  • <ܐܵܗܵܐ ܡܵܐܢܝܼ ܝ̄ܠܹܗ؟> āhā mānī leh? / <ܡܵܐܢܝܼ ܝ̄ܠܹܗ ܐܵܗܵܐ؟> mānī leh āhā?「こちら誰ですか。」
  • <ܐܵܗܵܐ ܡܘܼܕܝܼ ܝ̄ܠܹܗ؟> āhā mūdī leh? / <ܡܘܼܕܝܼ ܝ̄ܠܹܗ ܐܵܗܵܐ؟> mūdī leh āhā?「これは何ですか。」

Yes/No疑問文の練習も。文末にイントネーションの上昇があるようです。シリア文字の表記は少し省略します。

  • <ܐܲܢ̄ܬ ܡܲܠܦܵܢܵܐ ܝܼܘܸܬ؟> att malpānā ywit? / malpānā ywit att?「あなたは教師ですか。」
  • <ܗܿܘ ܡܲܠܦܵܢܵܐ ܝܼܠܹܗ؟> hāw malpānā yleh? / malpānā yleh hāw?「彼は教師ですか。」
  • <ܐܵܗܵܐ ܡܲܠܦܵܢܵܐ ܝܼܠܹܗ؟> āhā malpānā yleh? / malpānā yleh āhā?「この人は教師ですか。」
  • <ܐܵܗܵܐ ܩܲܢܝܵܐ ܝ̄ܠܹܗ؟> āhā qanyā yleh? / qanyā yleh āhā?「これは鉛筆ですか。」

 「教師」の代わりに <ܐܝܼܙܓܲܕܵܐ> ’īzgaddā「大使」、<ܬܲܠܡܝܼܕܵܐ> talmīdā「学生」、<ܫܲܡܵܫܵܐ> šammāšā助祭 (deacon)」、「ペン」の代わりに <ܟܲܠܒܵܐ> kalbā「犬」、<ܥܸܪܒܵܐ> ˁirbā「羊」、<ܠܲܚܡܵܐ> laxmā「パン」、<ܢܲܪܓܵܐ> nargā「斧」、<ܟܵܣܵܐ> kāsā「グラス」などを入れてみましょう。gaka は「ギャ」、「キャ」のように聞こえますね。

 

「はい」と答える場合は <ܗܹܐ> というようです。 

  • <ܗܐ، ܐܗܐ ܬܠܡܝܕܐ ܝܠܗ> hē, āhā talmīdā yleh.「はい、こちらは学生さんです。」

 「いいえ」という場合は <ܠܵܐ> を使い、否定文としたい場合は <ܠܹܐ> をコピュラの前に置き、かつ <主語-コピュラ-補語> 語順となるようです。同源の単語でしょうが、なんで母音変わってるんでしょうね。

  • <ܠܵܐ، ܐܵܗܵܐ ܠܹܐ ܝ̄ܠܹܗ ܟܲܠܒܵܐ> lā, āhā lē leh kalbā.「いいえ、これは犬ではありません。」

いくつか単語を入れ替えて練習しましょう。<ܐܲܟܵܪܵܐ> akkārā「農夫」、<ܓܲܢܵܢܵܐ> gannānā「庭師」、<ܢܲܓܵܪܵܐ> naggārā「大工」、<ܩܘܿܩܵܝܵܐ> qōqāyā「陶工」、<ܒܲܛܵܐ> baṭṭā「家鴨」、<ܕܹܐܒܵܐ> deˀbā「狼」、<ܬܲܪܢܵܓܼܠܵܐ> tarnāġlā七面鳥」などを使いましょう。

q と ṭ は無気音というべきか、聞こえ方によっては放出音に聞こえなくもありません。これに対して k と t は帯気音です。ちなみにアラビア語や現代南アラビア語でも似たような現象が観察されます。単に調音点の違いだけではないわけですね。

応用編

現代北東アラム語(というかアラム語一般の話ですが)には、<ܕ> d「の」という多機能な前置詞があります。名詞と名詞の間にある場合には、英語でいう of のように、所有を表します。

  • <ܒܵܒܵܐ ܕܡܲܪܝܲܡ> bābā d-maryam「マリアムの父 (bābā)」
  • <ܟܲܢܵܐ ܕܟܘܼܪܣܝܵܐ> kannā d-kursyā「椅子 (kursyā) の足 (kannā)」
  • <ܢܵܘܪܵܐ ܕܐܵܗܵܐ ܒܪܵܬܵܐ> nāwrā d-āhā brātā「この娘 (brātā) の鏡 (nāwrā)」

あとひとつ、<ܘ> w「と」(等位接続詞)も覚えておきましょう。

  • <ܐܵܢܵܐ ܘܚܵܬܵܐ> ānā w-xātā「私と姉/妹 (xātā)」
  • <ܠܲܚܡܵܐ ܘܟܲܪܥܵܐ> laxmā w-karˁā「パンとバター (karˁā)」

 それでは最後に少し難しめのコピュラ文を。

  • <ܫܸܡܵܐ ܕܐܵܗܵܐ ܡܕܝܼܢ̄ܬܐ ܬܸܦ̰ܠܝܼܣ ܝ̄ܠܹܗ> šimmā d-āhā mditā Tiflīs leh.「この町の名前はティフリス(トビリシ)です。」
  • <ܐܵܗܵܐ ܝܲܠܕ̄ܐ ܫܲܡܵܫܵܐ ܓܝܼܘܲܪܓܝܼܣ ܝ̄ܠܹܗ> āhā yallā šammāšā Gīwargīs leh.「この男の子はギワルギス(ジョージ)助祭です。」
  • <ܣܲܪܓܘܿܢ ܒܪܘܿܢܵܐ ܕܡܲܠܦܵܢܵܐ ܝܠܹܗ> Sargōn brōnā d-malpānā yleh.サルゴンは教師の息子です。」 
  • <ܫܲܒܬܵܐ ܩܵܐ ܒܲܪܢܵܫܵܐ ܝܠܹܗ ܘܠܵܐ ܒܲܪܢܵܫܵܐ ܩܵܐ ܫܲܒܬܵܐ> šabtā qā barnāšā yleh w-lā barnāšā qā šabtā.安息日は人のためにあるのであって、人が安息日のためにあるのではない。」

最後の文は聖書からの引用(マルコ2:27)です。qā は受益者を表す前置詞なんでしょうね。

現代北東アラム語入門⓪はじめに

もう長らく現代アラム語に関心をもちつつ、ちゃんと勉強していないので、ここでは少しづつ現代北東アラム語学習ノートを公開します。(*語学系の投稿は最近の語学教科書風に「ですます」調にしています。)

実は最近、世界的に現代アラム語の学習教材が充実しつつあります。一つは完全無料でオンラインで音も聞けて、そして母語話者でもあり著名な言語学者でもある Tabo Shalay 氏ほかによってつくられている、以下のページがあります。

こちらは現代中央アラム語のひとつ、トゥーローヨー(Turoyo)と呼ばれる変種で、いわゆる「アッシリア人」(中東地域に基盤をもつアラム語を話すキリスト教徒、特にシリア正教徒)の話す現代アラム諸語の中では、残念ながらややマイナーなものです。Modern Western Syriac などと呼ぶ人もいるそうですが、古典語かつ彼らの典礼言語であるシリア語との歴史的なつながりを意識したものでしょう。

www.surayt.com

一昨年ジョージアに行ったのをきっかけに知った、こちらの教会が、非常によい現代北東アラム語 (North-Eastern Neo-Aramaic; NENA) の CD 付き教科書を出しています (Yadgar 2018)。800頁で100ドルぐらいと、とてもコスパがよく、こちらは専門の言語学者が作った、とは言えないのかもしれませんが、十分使い物になる教材のようです。トゥーローヨーと対比的に、現代北東アラム語は Modern Eastern Syriac ともいわれるようです。エスニック集団の名称を使ってアッシリア語ともいいますが、少し紛らわしい(古代のアッカド語変種の名前でもある)ので学者は嫌いますね。

subaran.com

NENA はイラン・トルコ・イラク国境地帯の村々で話されており、方言差もかなり大きく、方言数も非常に多いことが知られています。本書はジョージアで出版されていていますが、ジョージアアッシリア人の方言というより、やや人工的に(借用語などを排して)教育用に整えたもののようです。実態そのものではない、ということで、伝統的なアラム語学者はそういうのを嫌う傾向があります。が、ある種の規範意識を描いてくれている(音声までつけてくれている)わけなので、そういう試みとして敬意を払いつつ有難く使わせてもらいましょう。

ジョージアアッシリア人は基本的に上記の地域(多くはイランのウルミアなど)からの移民コミュニティで、その方言も少し独特らしいです。色々な地域の方言特徴がディアスポラで混淆しているのかもしれませんが、素人なので今一つよくわかりません。例えば、ロシアのナウカ社から出ている、コンスタンティン・ツェレテリの『現代アッシリア語』という本はジョージアの方言を扱っているようです。

アッシリア人NENA で話したければ、北米やオーストラリアなどにかなり大きなコミュニティがあり、各種行政パンフレットもこの言語で作られています。もう少しそれっぽい地域ということであれば、ジョージアも中々よさそうです。まず首都トビリシに先述の教会があるし、そこから乗り合いバス(マルシュルートカ)に乗れば 30 分くらいでアッシリア人の村にも行けます。泰流社・国際語学社から出ていた『アッシリア語入門』/『ネオ・アッシリア語入門』というNENAの本でもフィーチャーされています。

著者の Benyamin Yadgar 地方司教はイランのウルミア出身だそうです。

なお、Yadgar (2018) はネストリア式シリア文字を使っていますが、オンラインで使いやすいエステランゲロー式シリア文字を使います。かつ、ここでは私の使い勝手がいいように、そのスペルを適当にラテン文字転写します(一般的な NENA 研究の慣習とも違う)。時々、発音を [ ] で示しますが、IPA国際音声字母)によるものではない点もご注意ください。

参考文献

Yadgar, Benyamin Beth (2018) Modern Aramaic Language for Beginners (translated from Russian by Natela Shonia). Tbilisi: Mar Shemmon Bar Sabbae Assyrian-Chaldean Catholic Church.

「日本人は外国語が苦手」考

「日本人は外国語が苦手」というテーマは、色んなアプローチができる面白いネタだ。

「いや、そんなことはない」とその真偽を覆すこともできれば、まあ妥当だと考えたうえで、「なぜ苦手なんだろう」と考えこむこともできる。「「日本人」って誰だよ」とか、「「外国語」にはシンハラ語とかも入ってるんでしょうか」とか口を挟むのも好きだ。社会学者、言語学者、教育学者、外国語教師、政治家、メディア、学生、親御さん… 色んな立場から好きなことを言っていいし、どういう結論も一度耳を傾けてみるくらいの価値があるもの。

私はこの「苦手」には2つの側面――さすがに真剣になんとかしないと困る、克服されるべき実態としての側面と、謙遜や外国語への深い敬意を含む自己評価としての側面――があると思う。もちろんこれらは表裏一体なのだが、それぞれの側面への心構えはアンビバレントにならざるを得ないと考えている。

まず前者について、例えば 2015 年ごろ、私が京都にある某大学図書室に行ったとき、ロッカーに "lord is in the locker" というシールが貼ってあるのを見つけた。何のことか分からなかったが、図書館員の人に入庫希望を伝えると、「荷物はロッカーの中にお願いします」と言われた。「荷物 (もちろん lord ではなく load) はロッカーの中に」か! と閃いたので、(「主はロッカーの中にいまします」みたいになってる、と)誤りを伝えたところ、即時にその標示は剝がされてしまった。傑作なので少し勿体ないことをしたと思わないでもないが、さすがにマズいものだった。

これは、明らかに日本語と英語の構造の差などに起因する「難しさ」や、そういう根本的な言語事実に留意して指導をしていない公教育の質や構造、作ったシールをチェックしてもらえないという外国語校閲への経費不足(?)などの運営環境、等々の問題であって、だから「日本人は外国語が苦手」だというのも頷ける。もっとできることはあるし、それらをしないことを肯定することはできないので、現状を変えたいとも思う。

一方、後者については、そもそも外国語というのは「苦手」なのは当然であって、その意識を変革する必要はないのではないかと思う。逆に「自分は外国語が得意だ」といったとき、そこには外国語への見くびりがあるのではないか。私自身、英語は20年以上勉強し続けていて、英語でも発表・出版してきたし、英語を一言も使わない(少なくとも読まない)日はないが、心から英語が苦手だと思う。アラビア語も教えてはいるし、一生懸命勉強はしてきたが、自己評価としてはアラビア語のアも分かってないという気持ちが強い。

次に「日本人は」の部分について。「日本はモノリンガルな、日本語しか存在しない社会だから」という説明がよく聞かれるし、私も便利に使うことがあるが、実際には「日本人は外国語好き」という側面は過小評価されているかもしれない。

私の実感では、日本社会では「外国語」が、かなりの程度「趣味」としても根付いている。テレビをつければファッショナブルな半年~通年規模の「語学番組」が放送されていて、大型書店にいけば「外国語」の棚が必ずあって、Aはアムハラ語からZはゾンカ語まで揃っていたりする。「海外旅行に行きたいから」といって語学講座に参加する人もそれなりの数いるようだ。他国でこういう現象がどれだけ見られるだろうか。日本人は、相対的には、異常なぐらい(座学での)外国語学習が好きな人々かもしれない。

カナダの大都市から来たというイラク系の留学生と話した時、「カナダは多文化主義を標榜しているが、私の街にはアラビア語が学べる大学なんて存在しない。日本は<単一民族国家>的なのだと思っていたが、首都でなくても巨大な外国語学部があって、インドネシア語スワヒリ語さえ専攻できるとは!」と印象を語ってくれた。

もちろん欧米には、昨今では厳しい状況があるとは言え、重厚な言語研究の伝統と環境がある。日本の現状に満足しているわけではない。しかし、基準次第では日本の「外国語好き」は意外に世界でも群を抜いている側面もあるのかもしれない。そういう「日本人」が「外国語は苦手だ」と言えるだけの環境には感謝しているし、評価されるべきだと思う。

アフリカ諸語研究のすすめ

これまで2度にわたって「アラビア語のすすめ」を書いた。日本ではアラビア語に携わる人、特に言語学的関心から研究を行う人が極めて少ないし、そういう人はいつの時代も必要な人材だ。

だが心のどこかで、アラビア語なんて別にどうでもいいと思っている。アラビア語は需要のある重要な言語のだが、そんなに「面白い言語」ではない。まず文法は、複雑ではあるが、西欧諸語と全然違うわけではない。一般社会ではアラビア語は「珍しい、かわった言語」かもしれないが、専門家たちの世界ではありふれた言語のように思える(よくよく考えると非常に珍しい特徴もないわけではない)。

どうせ「変な言語」ならそれを突き詰めるのもよいと考えているので、ここではアラビア語を学んだ人が進むべき道の一つとして、フィールド調査によるアフリカ言語学(アフリカ諸語研究)をお勧めしたい。ここで4つばかり、そうすべき消極的・積極的理由を挙げる。(結果的にアフリカ言語学以外をディスカレッジしますが、アフリカ言語学のお寒い状況に免じて広い心でお読みください。)

1.アラブ世界には言語が少なくレッド・オーシャン

中東は世界的に見て言語の数がすごく少ないEthnologue 第 23 版では、イランでは78言語、インドでは447言語、インドネシアでは710言語が話される。これに対し、22ヶ国が加盟するアラブ連盟の地理的領域を「アラブ世界」とすると、アラブ世界で話されるのは198言語ほどだ。アラブ連盟なので、ジブチソマリアコモロももちろん入っているし、実際198言語のうち多くはアラビア語方言だ。

変なやり方だが、100万㎢あたりに換算すると、イランは約47言語、インドは約136言語、インドネシアは約374言語、そしてアラブ世界は約15言語となる(人口で割っても似た感じだが、変動が大きいので省略)。ざっくりした感覚でいうと、シベリアやカナダなど、極北世界の言語分布数に近い。もちろんアラブ世界には広大な砂漠や、アラビア語という超強力な言語があるためだが、はっきりいって、言語好きにはあまり魅力のない地域だ。

中東と言っても、イランやトルコ、イスラエルは意外なほど言語が豊富だし、ユーラシアは広い。しかし、アラビア語だけ知っているという人がユーラシア世界の言語研究を専門にするのはかなり厳しい。少なくとも専門レベルでペルシャ語トルコ語ヘブライ語を知っていないと、この地域を専門にしている研究者に太刀打ちできない。それが絶対悪いわけではないが、アラビア語から始めると少し遠回りだ。

アジア研究のレベルは、国内外を問わず非常に高いと思う。私がそんな気がしているだけかもしれないが、残念ながら(エジプト語アッカド語、シュメール語などの古代語も含め)ユーラシア言語研究は、血で血を洗う戦が行われているレッド・オーシャンだ。(もちろん私の主観の誇張に過ぎない。)

一方で、アフリカには言語の数が多いわりに、スワヒリ語、ハウサ語、アムハラ語などごく少数の言語を除けば、ユーラシアの状況に比べてそれほど重厚な研究蓄積がない。さきにアラブ世界で198言語が話されると書いたが、うち50言語ぐらいはスーダンで話されている。スーダンはアフリカの入り口だといえるかもしれない。

2.アラビア語と似ていて、しかも研究が進んでいない言語が多い

アラビア語アフロ・アジア語族(Afroasiatic phylum)に属するセム諸語(Semitic languages)の一つであると言われる。有名どころでいうと、旧約聖書原典の言語であるヘブライ語や、古代中東の共通語としても「イエス・キリスト母語」としてもしられるアラム語(実態としてはアラム諸語といってもよい)、楔形文字で書かれた古代メソポタミアアッカド語などがセム語のグループに属している。ヒエログリフエジプト語、そしてその直接の子孫でありコプト正教の典礼言語あるコプト語も、セム語ではないが、アフロ・アジア語族のメンバーだ。

これらの言語は歴史的にも魅力ある言語であり、アラビア語ともよく似ているのでとっつきやすい。ゼロから学ぶのではなく、至る所でアラビア語と一緒だ!」と実感できて楽しいこと請け合いだ。しかし、だからこそ、極めて豊富に研究が行われてきた。一番面白いところは昔の偉い西側の学者たちが書きつくしているといっても過言ではないので、ものすごい量の先行研究を読まないといけないし、独創的で目立った研究というのは流石にやりにくい。21世紀の文脈で「成果」を求められる現代の研究者にとって、少しコスパが悪すぎるように思う。

一方で、アフリカ側にも多くのセム諸語やアフロ・アジア語族の諸言語が話されている。ゲエズ語 (ግዕዝ;ギイズかグウズの方が実際の伝統音には近い) 以外、ほとんどは歴史的には「無文字言語」であることが多く、かつて書かれたことがある場合、その多くはアラビア文字(一般に「アジャミー文字」ともいう)によるものだ。

例えば、エチオピアケニアでオロモ語という言語が話されている。4000万人近いともいわれる話者をもつアフリカ最大級の言語で、政治的にも歴史的にも重要だが、まともな教科書はおろか、短めの文法スケッチを除いて、参照文法といえるような規模の文法書はほぼ存在しない。語順こそ日本語に似てSOVで、比較的簡単な言語だと言われるが、代名詞や動詞活用などはアラビア語との類似が明らかだ。放出音や入破音などの珍しい音も小気味いい。エチオピアあたりで数年フィールドワークして、博士論文としてオロモ語の一方言の文法書を書けば「(オロモ語で)世界トップレベルの研究者」になるのも夢ではないかもしれない。

オロモ語でなくとも、アラビア語を学んだ人が言語学的テーマとするにふさわしい「穴場」はアフリカにはごまんとある。特にエチオピア周辺のクシ諸語やエチオピアセム諸語、ナイジェリア・カメルーン・チャド周辺のチャド諸語やアラビア語方言はお勧めだ。エチオピアのアフロ・アジア諸語としてはオモ諸語もある。一見してもアラビア語とはほとんど何も似ていないので、アラビア語の素養を直接活かすのは難しいかもしれないが、再構可能な世界最古の言語がアフロ・アジア祖語であるとするなら、その研究の重要性は過小評価できない。

北アフリカベルベル諸語も穴場だったが、近年は西欧で高いレベルの研究が進んできている。研究の深化といえば聞こえはいいが、近い将来には熾烈な競争が繰り広げられてしまうのかもしれない。

私の場合は研究テーマにアラビア語クレオールを選んだ。東アフリカで話されていて、とにかく「アラビア語っぽくないアラビア語」なのでとても面白いし、研究の意義も高いのでコストパフォーマンスも悪くはなかったと思う。しかし、同時期に西欧で「ライバル」的な人が現れていたので、(研究の質はさておき)立地的に後手に回ってしまったかのような感がある。こちらも黙っているわけではないので、向こうとしても嫌な気持ちをもっていてもおかしくない。

学生の頃、学問においてそんな「配慮」などすべきでないと息巻いていたし、今も権威主義的な研究者に屈するつもりはないが、しんどいので他人に勧めたくはない。誰もやっていないことを穏やかに研究できるなら、それに越したことはない。他の研究者の批判のための時間は、自分の自由な創造のための時間を削るのでもったいない。

3.アラビア語が意外と役立つ

以前にも書いたが、南部アフリカやギニア湾岸などの一部を除き、多くのアフリカ諸語には直接・間接にアラビア語からの影響を受けていることが多いし、ムスリムも多いので、アフリカでは意外なほどアラビア語アラビア文字を目にする機会が多い。

アフロ・アジア諸語というのは比較言語学的なテーマとしてアラビア語と結びつきやすいが、それ以外のナイル・サハラ語族やニジェール・コンゴ語族の諸言語は、接触言語学的なテーマとしてアラビア語と結びつけることができる。

最近私が研究をはじめたベルタ語というナイル・サハラ語族の言語があるが、もうこれでもかというぐらいアラビア語化されているし、ベルタ語話者の話すアラビア語はこれでもかというぐらいベルタ語化されている。そもそも、彼らは普段自分達のコミュニティ外ではアラビア語をほとんど使わないので、ベルタ語かアラビア語どっちかでいいと思うのだが、二つの言語を少なくとも2世紀以上の間ずっと話し続けている(加えてアムハラ語とオロモ語も話す)。こういう人々を研究するには、間違いなくアラビア語の知識が必要だ。そして、ベルタ語に限らず、西アフリカからソマリアにかけてはこういう状況にある言語は非常に多い。

こういう人たちにとっての「アラビア語」を研究することは、ひいてはアラビア語研究に革新をもたらす可能性もある。これまでアラビア語は「アラブ」という民族を定義する基準かのように論じられる傾向があったが、「多民族共存空間としてのアラビア語世界」を創造的に想像するためには、アフリカ研究は大いに役立つ。

個人的には別にアラビア語と全然関係ない地域にものことも学びたい(というか学んで楽しい)し、本来アラビア語影響圏にこだわる発想はないのだが、自分のアラビア語をメンテナンスするためのモチベーションになっている。多少は娑婆の理に義理立てするのも悪くはない。

4.現地社会からの関心が強い

多くのアフリカ社会では、自民族の言語や文化にものすごく誇りや愛着を持っているようだ。意外なほど研究者のニーズと、現地社会からの研究者へのニーズが思ったより一致しているように感じることが多い。

歴史的なりゆきのため、ユーラシアには言語とナショナリズムが非常に強く結びついている社会が多いようだ。ユーラシア側を対象にしている少数言語研究者が時々語ることがあるが、少数言語研究が反体制的な政治活動とみなされたり、話者自身が自分の言語への誇りを失っていることさえあるらしい。価値観は時代や政情により変動するとは思うが、切ないではないか。今のところ、私はアフリカではそういう経験をしていないので、本当にありがたいことだと思っている。

場合によっては、研究者が特定の集団の主張に「お墨付き」を与えるかのような形で、学問的成果がある意味で政治的に利用されることや、安易に開発主義に加担するおそれがあることにもなるので、違和感をもつこともあるのだと思うが、その是非はフィールドに行く前に机の上で心配するのではなく、フィールドで感じて考えることを勧めたい。

学問というものは誰かのためにやるものではなく、あくまで知的好奇心に基づくのが健全だとは思うが、一人で誰からも応援されることなく研究の道を進むのは辛い。正直なところ、どこで何度研究発表をしても、自分の研究の話を、関心をもって聞いてもらえたことがないのではないかとさえ思う。そういう時、現地の友人の顔でも思い浮かべて再奮起できるのは純粋に幸せだ。

ただ、言語学は基本的には無力なので、本当に研究成果を誰かの役立てたい場合には応用のための技術についても相当考える必要がある。そういう意味では、現地社会との「絡み」は、単に「学問」を突き詰めることに慢心せず、発想を柔軟にすることにもつながるのかもしれない。

アラビア語のすすめ(2)

前回はアラビア語によって多くのものに出会える言語だ、という話で締めくくっていた。今回はそれがなぜなのか、私なりの考えを4点まとめてみたい。

1 現代よく学ばれる「外国語」の中で最も古い言語の一つ

アラビア語が文字で書かれたのは紀元2世紀より遡ることが確認されている。4世紀に書かれたアラビア語碑文は、文字こそ古風で専門家でないと読めないが、中身を見れば現代のメディアなどで使われている書き言葉のアラビア語――「正則アラビア語」、アラビア語で「フスハー」(اللغة العربية الفصحى)と呼ばれる――とそれほどは違わない。

コーランアラビア語は7世紀(日本でいうと奈良時代)のアラビア語を反映しているといわれるが、現代の正則アラビア語の知識+α ぐらいで、とりあえずは十分理解できる。あるいは、コーランは現代に生きた聖典であり、その言葉自体が日常に溶け込んでいるので、「古めかしい」という印象はさらに薄いといえるかもしれない。

中東史には、おおまかにイスラームの出現をもって「中東古代の終焉」という考え方があるが、いわばアラビア語は古代と現代を繋ぐ言語であるといえる。例えば、アラビア語の月名、例えば四月をニーサーン(نيسان)などというのはバビロニア暦起源であり、楔形文字で書かれていたアッカド語での名称(nisānu/nisannu 𒁈)――世界で最初に文字をもった言語の一つであるシュメール語の nisag/nesag「最初」が語源とされる――を残している。

ほかにも、正則アラビア語には中期ペルシャ語ギリシャ語・アラム語など、イスラム以前に中東を割拠した古代帝国の公用語の単語がたくさん残っているので、時空を超えた「出会い」のきっかけには事欠かない。

アラビア語は一度も死に絶えることなく、かつあまり形をかえずに古代から生き続けている言語、という意味では、現代世界で学ばれるどの「外国語」よりも古い歴史をもっている。ただし、後で書くことになるが、正則アラビア語はその後の歴史で「話し言葉」としては用いられなくなってしまった。

古い歴史をもつ言語といえばペルシア語も忘れてはいけない。その歴史は古代・中期・新ペルシア語に大別されるが、新ペルシア語は恐らく9世紀から一貫してほぼ同じ言葉が話されている点で、世界一古い話し言葉の一つかもしれない。ただ、2~7世紀に書かれた中期ペルシア語は現代語の知識だけでは太刀打ちできない。

あまり知られていないが(残された記録も現代での使用もやや限定的だ)、古くからそんなに変わっていない言語としてはヌビア語もある。古ヌビア語は8世紀から一応記録があるが、文法的には現代エジプトで話されるノビーン (Nobiin) 方言とそれほどの違いはないようだ。

それから、ヘブライ語はもちろんアラビア語とは桁違いに古い歴史をもつし、古代とさほど変わらない形で現在話される言語でもある。ただ、こちらはアラビア語やペルシア語とは違い、中世には「死滅」したといってよいほどその使用は限られたし、自他ともに認めるとおり、「リバイバルされた言語」としての側面が見過ごせない。

どれが一番を喧々諤々争おうというのではなく、中東は「世界一古い言語」の宝庫で、その一つであるアラビア語は時空を超えるための手っ取り早い鍵、ということだ。

2 皆に平等に難しい、世界宗教の「聖なる言語」

アラビア語はいわずと知れたイスラームの「聖なる言語」だが、世界のムスリム人口は2021年現在、19億人近いとも推定される。この数は全世界の英語話者数の推計をやや超える。大げさだが、言い方次第では、現代世界で英語に拮抗しうる唯一の言語かもしれない。

歴史上、イスラーム世界には、母語ではないがアラビア語はよくできる知識人、特に宗教知識人は数多くいた。その意味で、アラビア語は1400年以上、「イスラーム共同体」(ウンマ)の共通語であり続けてきた。近代においても、世界各地のムスリム知識人はアラビア語でコミュニケーションをとっていた。例えばアフガーニーやマウドゥーディーのような南アジア出身のアラビア語母語話者の思想家たちが世界的なイスラーム主義の思想的に与えた影響は測りえないし、アマドゥ・バンバやウスマーン・ダン・フォディオのような西アフリカ社会に大きな影響を与えたイスラーム改革者たちも、アラビア語著作を残している。

もちろん今もアラビア語を話せるちょっとした知識人というのは世界各地にいる。

例えばウガンダの某モスクを訪れた時のこと。観光ガイドにはそのモスクの塔(ミナレット)に登れば町が見渡せるがいくらか料金が要るとのことだった。しかし、階下に居た長老がおもむろにアラビア語で「何しに来たのか?」というので、「ミナレットに登りたいと思いまして」とアラビア語で返すと、「ようこそ、どうぞ!」とタダで上げてくれた。身勝手な解釈かもしれないが、翁にとっては、アラビア語イスラームに対する敬意を共有している見慣れないやつに会った、ということが素直に嬉しかったのかもしれない。

もつろん、全てのムスリムアラビア語を話すわけではない。アラビア語は外国語として学ぶには少し難しい言語なので、その習得は容易ではないのだ。一方で、アラビア語を一言も知らないムスリムは、恐らく一人もいない。イスラームの礼拝は全てアラビア語で行うので、皆ある程度の分量のアラビア語を諳んじているのだ。学校やモスクで学んだことがある人は少なくないし、どれほど努力するかしないかはさておき、大抵のムスリムは「アラビア語が話せればカッコいいのにな」以上には思っている。

言い換えれば「アラビア語って難しいよね」と、あこがれや挫折感を共有できる人が何億人もいるということでもある。こんな言語はたぶん世界的に類をみないだろう。

そしてこの挫折感はアラビア語母語話者」に対しても平等だ。彼らはコーランと同じアラビア語を話しているわけではないし、やはり一生懸命勉強しないといけないのだ。

3 中世以来「三大陸を結ぶ世界語」として機能してきた

アラビア語が「世界語」であるのは、宗教的な意味でだけではない。アラビア語は、地中海交易、インド洋交易、サハラ交易、ナイル交易の言語でもあった。算用数字を「アラビア数字」というのは由がないわけではない。数字はインドの発明だが、それを旧大陸に広めたのはイスラーム帝国を縦横に旅したアラビア語話者の商人や学者たちだった。それと同時に、アラビア語自体も「共通語」として広まっていた。

大航海時代イベリア半島の商人たちはアフリカ大陸を一回りしてインド洋へと到達したが、その旅で彼らは何語でコミュニケーションをとっていたのだろうか。もちろん、それはアラビア語だった。グローバル化」が大航海時代に始まったとされる考え方もあるが、その直前に世界を繋いでいたのはアラビア語だったのだ。

時代は下り、19世紀末の東アフリカでは、イギリス人が南スーダン出身のアフリカ人兵士を雇って「植民地軍」を作った。もちろん彼らは英語を話さない。結果的に、イギリス人将校たちは彼らの共通語であったアラビア語を学び、アラビア語で命令を下すことになった。今もイギリスの国立文書館には、そんなイギリス兵の「アラビア語試験・成績表」が残っている。アフリカ中部のチャドでも、同じ時期、フランス人が似たようなことをしていたらしい。

そんな、アラビア語の「世界語」としての側面を感じやすいのは、ムスリムが多数派を占める地域の言語に無数に入っているアラビア語借用語だろう。

東アジアで例えると、朝鮮語/韓国語でも「微妙な三角関係」が似た発音だとか、トイレットペーパーを中国語で「手紙」と書くらしいとか、そういう愉快な現象が東南アジアからアフリカまで見られるわけだ。アラビア語さえ知っていれば、インドネシア語を学んでもスワヒリ語を学んでも、既に知っている単語が多いので、最初のハードルが低い。

例えばインドネシアの古い流行歌「ブンガワン・ソロ」(Bengawan Solo)を聞いていると、riwayat「故事」(رواية)、insani「人間」(إنسان)、musim「季節」(موسم)、akhir「末」(آخر)、kaum「人々」(قوم)のような明らかにアラビア語起源の単語が聞こえてくる。

スワヒリ語habari muhimu kuhusu homa ya Ebola「エボラ熱に関する重要なニュース」の habari「ニュース」(خبر)、muhimu「重要な」(مهمّ)、-husu「関する」(خصّ)、homa「熱」(حمّى)、asante kwa kusaidia Idara ya Afya ya Umma ya Philadelphiaフィラデルフィア・コミュニティ保健局へのご協力ありがとうございます」なら、asante「多謝」(أحسنت よくできた)、-saidia「手伝う」(ساعد)、idara「運営」(إدارة)、afya「健康」(عافية)、umma「共同体」(أمّة)はアラビア語起源だ。

4 誇り高き「言文不一致」

最後になるが、アラビア語が「出会い」の言語であると私が考える最大の理由は、ダイグロシア(diglossia)と呼ばれるその社会言語学的特徴だ。

先に述べたとおり、正則アラビア語は古くから世界的に用いられた、「最強」の言語の一つだが、唯一の弱点とされるのは、あくまで書き言葉であり、「母語話者」が存在しないことだ。

アラビア語母語話者」と言われる人々が話すのは、別の「言語」といっても過言でないほどの地域差(ないし集団差)がある「口語アラビア語諸方言」(لهجات العربيّة العامّيّة)――アラビア語ではアーンミーヤ「大衆語」ないしダーリジャ「普通語」と呼ばれる――だ。そして、これらの方言間の差よりも文語と口語の差の方がある意味では大きい。例えば、方言同士の違いをフランス語・スペイン語ポルトガル語で喩えると、正則語はラテン語に当たるといってもいいだろう。「ダイグロシア」とは、こういう二つの言語変種の棲み分けを指す社会言語学の専門用語だ。

口語アラビア語諸方言は、いわゆる「文字で書かれる言語」ではないので、あくまでオーラル・コミュニケーションにしか用いられない。もちろんSNSやメールなど個人的な文脈や、試みとして「文字で書いてみよう」という場面では「文字で書かれる」こともあるが、ふつう権威ある「口語標準語」や「方言用正書法」があるわけではない。

近代的なアラビア語教育の現場では、この問題が常に教員・学習者を悩ませてきた。もちろん、各種方言の教科書も編まれてきたし、それを用いた授業も行われてきた。しかし、標準語も正書法もないため、教科書ごとに表記の仕方や文法の説明方法が違うというのが当たり前だ。しかも、物理的には1授業で1方言、あるいは騙し騙し1授業で正則語と1方言(それでも混乱は避けられない)が精いっぱいだ。いずれにせよ1つの方言を選ばないといけないが、標準的な方言、権威ある方言というのが存在しないので、その選択は政治的になるか、教員の専門に引きずられてしまう。

なお、「ポピュラー文化の影響でエジプト方言が最も広く通じる」というまことしやかな噂も耳にはするが、少なくとも私の経験とは合わない。そもそも、アラビア語は多様性が売りなのだから、とりあえず皆が同じ方言を学べばよいという発想は、「角を矯めて牛を殺す」というやつだ。

結局、「ふつうにネイティブとアラビア語が話したい」という向きは、現地に飛び込み、たくさんの友達を作り、長時間日常を共にしつつコミュニケーションを深め、かつ自分なりに整理して理解しないと、目標は達成されない。間違うのが恥ずかしいといって、こっそり一人で勉強することが許されないのだ。

これはもはや、人文系研究者が行う「参与観察」のようなもので、きわめて創造的な営みだ。どうしても現地に行けないなら、ゴリゴリの論文や学術書を読んで理解を深めることもできる――いずれにしても、単なる「語学」の枠を外れて、「学問」の世界に誘われてしまう、最強のアクティブ・ラーニングだ。

アラビア語教員・学習者は、この事実を「障害」と捉えすぎてきたかもしれない。人とコミュニケーションするのが面倒で、教室でだけ勉強する「外国語会話の授業」なんてはなから意味はないのだ。言い換えれば、アラビア語のダイグロシアは学習者を「応援」する装置でもある。

ヨーロッパでは近代に「民族自決」とともに「国語の言文一致」が行われ、日本を含む多くのアジア諸国もそれに倣った。アラブ地域にもそうした考えは入ってきたが、彼らは断固としてそれを拒み、逆にダイグロシアを保ちつつ正則アラビア語の近代化改革を行った。西洋とは違う、オルタナティブな形での「近代的な言語のあり方」を発明したと言ってもいいだろう。明治期日本の国語改革でも、「非効率」とさんざん批判されつつ、漢字を棄てるという選択肢は採られなかったが、それにも通じるものがあると思う。私はそんな近代の「アラブ人」たちに拍手を送りたい。

アラビア語のすすめ(1)

自分の名刺としてのアラビア語

アラビア語を教えています」という自己紹介は気に入っている。

一発で相手は「なんか珍しいやつだ」とほんのり興味をもってくれるし、難しそうな学問分野とかでないので、そんなにいかつい感じもしないようだ。聞いたことがないタームではないので、相手も「すごいですね、あの文字が読めるんですか」とか、こちらも「いや10年以上やってもやはり難しくて…」とか、絶妙に当座の会話が続けやすい。コミュニケーションが苦手な自分には、かけがえのない名刺だ。

アラビア語専攻の学生や卒業者も似た経験をもっているのではないかと思う。

この名刺を使い始めた当初は、自分の本当の専門分野(記述言語学接触言語学、アフリカ言語学、アフリカ地域研究など)を隠すことに抵抗があった。正直いわゆるアラビア語やアラブ世界にはそんなに関心がなかった。しかし最近では素直に「アラビア語の専門家」にもなることにしたので、自分に嘘をついている感覚もなくなった。

アラビア語を自分の一部に受け入れられるようになった、ということかもしれない。

母語と「アイデンティティ

ところで、言語はアイデンティティ、特にエスニック・アイデンティティやナショナル・アイデンティティの象徴としてよく語られる。「自分の言語」と「自分のアイデンティティ」の結びつきについては意識されやすい。

しかし、人間には普遍的に複数の言語を使う素地があり、「自分の言語」とはいいにくい言語を使う機会も――ごく断片的な発話を含めれば――少ないとは言えない。その言語は自分のアイデンティティとは関係ないのだろうか。

これまで多くの非アラブのムスリムに会ってきた。アラビア語イスラームにとって「聖典の言語」だが、彼らはそんなにアラビア語はできない。しかしアラビア語を「一番美しい言語のひとつだ」と感じているし、アラビア語コーラン朗詠は心のよりどころでもある。アラビア語ができればちょっと尊敬してもらえる。

それから、昔よく南スーダンアラビア語の調査をしていた。大抵の南スーダン人は「アラブ人」でもムスリムでもない。南スーダンの首都ジュバでは、色々な民族出身の人、同じ民族でも色んな移住背景をもつ人たちが関わりあって生きていて、低開発だがコスモポリスだ。そんな彼らが一日中話している言語、ポピュラー音楽の歌詞の言語、ラジオから流れてくるのは、南スーダン式のアラビア語だ。

南スーダン人が素性を知らない南スーダン人に――南スーダン国内だろうが国外だろうが――会った時、まず話すのはアラビア語だ。「公用語」である英語で話すのは、ひけらかしになりかねない。彼らは「南スーダン人なら誰でもとりあえず話せる言語はアラビア語」だと感じているのだ。

彼らと、アラビア語専攻に居る(あるいはアラビア語専攻を出た)私達のような人間には共通点がある。「他者」の言語であるアラビア語を、自分のために使っているのだ。なんなら、それによって自らを何か別の人々から区別しているのだから、何らかのアイデンティティを担っているともいえる。悪くいえば「盗用」のようなものだが、この言語に新たな価値を見出すための、創造的な「盗用」だといえるかもしれない。

アラビア語とエクソフォニー

多和田葉子の紹介による「エクソフォニー」という言葉がある。「母語の外に出た状態一般」(多和田 2012: 3)を表すこの言葉は、外国語に憑りつかれた変わり者、あるいは望むと望まざるとに関わらず「母語」だけでは生きることを選択できない世界中の人々にとって、一つのオルタナティブな価値観になりそうだ。エクソフォニーは旅であり、多くのものと出会うきっかけになる。

ただ私はあまり、英語や近代西欧諸語とアラビア語を同列に扱おうという気にはなれない。これまで自分なりに何十かの言語を学んでみたが、近代西欧諸語を学んで新たに出会ったものよりも、それら以外の言語を学んで新たに出会ったものの方が、圧倒的に大きいと感じるからだ。そして、個人的な結果に過ぎかもしれないが、アラビア語こそが自分に最も多くの、実のある出会い、予定調和的でない出会いをもたらしてくれた言語だった。

そういうわけで、やや大上段だが、自分の経験に基づいた、自分なりの価値観を示すため、このブログにはArabophony というタイトルを付けてみた。

なぜアラビア語が出会いの言語なのかは、次回書きたい。

参考文献

多和田葉子 (2012)『エクソフォニー――母語の外へ出る旅』岩波書店

はじめに

自由な文章が書けて、同業者・学生諸賢にも簡便に共有できる媒体があるといいなと思い、ブログをはじめてみます。

ここでは「言語」にこだわり、「言語」で自由になることを目指します。「言語」から自由になることには、ここでは、それほど関心がありません。

どちらかというと日本よりは日本以外の、北側よりは南側の世界に興味があります。

記事内容から著者は分かるはず(南スーダンなどアラビア語を専門にする言語学者は日本では自分しかいない)なので、コメント・お問い合わせなどあれば、オフィシャルな形で直接お便りください。